【公式】赤田氏庭園 土豪館〜庄屋屋敷
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■系譜:嵯峨源氏・讓邊氏・赤田氏
赤田家が草野谷に館を構えた時期は
永禄5年頃、草野谷中村に居住した。
浅井家家臣団と成った頃、草野谷に領地が
存在しており年貢の取立てや日常の紛争・
政治的に収める為に館が必要であった。
赤田家の一族に西村氏が草野谷におり
藤堂家が津藩に仕えた為、田村の屋敷が
空き、赤田家が田村(太田)に館を移した。
西村家が土地を取得した土地売券が赤田家
に存在する。
当時この地は寺領地で大圓坊慶雄と書かれている。(土地売券が現存する1521年)
当地はもともと田村道場と呼ばれ浄土真宗の布教の地で有った。
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寛政年間の赤田家 |
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■浄土真宗系の作庭
豊富な山から流れる水を二方向から取り入れ
水流をつくる。
地割は段差を生かし南と西を築山とし高低差がある為、奥行きが深く見える。
西本願寺の虎渓の庭⇒福田寺の庭と同時代の
作庭と認められました。池からの排水路は曲折が多く作者の美意識が感じられます。
【江戸時代初期の石庭】 |

奥座敷から庭を覗く |
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■現存する茶室
現存する離座敷は煎茶室の様式を整え
露地を有する。
露地は青桐・百日紅が植栽され飛石など
煎茶の決まり事を有している。
建物は大正5年に建てられ丸窓や茶室としての機能を有し質素ながら建築当時のまま現代に受け継がれている。赤田家資料によるとこの座敷は文人好みの茶会や俳句の句会に使われて煎茶をふるまわれていた。 |
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離れ座敷の丸窓 |
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■江戸時代から続く庄屋屋敷
現在の赤田氏庭園の存在する屋敷は、
江戸時代より庄屋を代々務めていた為
庄屋屋敷を色濃く残している。
正門は天正13年3月に八嶋屋敷から
移築され現存する。
浅井長政の家臣となった頃、年責等の
取立てや争い事の度に草野谷に出向いて
いたと考えられる。
小谷城下の赤田八嶋屋敷から草野谷の領地に出張していたが遠方の為、現在の太田に館を構えた。
屋敷構が江戸時代の庄屋屋敷として現存している。
平成7年3月、建物全て国登録有形文化財に指定された。 |

正門

赤田家の全景 |
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