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赤田隼人正隆(第28代)
近江国犬上郡八町城主
曽我から甲良・豊郷の土豪
近工国守職・六角氏の旗頭
赤田川・橋・道路等造るなど農民に慕われる
曽我城から1513年に八町に館を移す
1555年没(赤田 隼人正隆公 生前の肖像画) |
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赤田川(用水路) |
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赤田信濃守興(第29代)
近江国犬上郡八町城主(二代目)
永禄5年ごろ浅井長政の被官となる(家臣)
野良田の戦い、肥田城の戦いに参戦
永禄11年北野荘の合戦にて対死
隆の次男 赤田信濃守姓は元亀元年に姉川合戦に出陣、天正元年8月 小谷の戦いにて討死
永禄4年頃近江の国は愛知川より北の土豪
(国人衆)は浅井氏の被官軍団となる。
永禄9年一族内乱六角氏に内通する一族有り、
八目にいた磯野丹波守が駆けつけ八町城に
逗留これを鎮める
長政公の下知状・赤田信濃守興公状有り
永禄11年北野庄で六角氏と合戦(宮庄3人衆と
討ち死にする。
永禄12年赤田家赤田信濃守姓公が当主となる
元亀元年6月、姉川合戦磯野丹波守の隊に
犬上郡の土豪衆と共に一番隊となる。犬上衆の
大いなる活躍は小瀬甫庵の信長記に記載されて
います【信長記・小瀬甫庵】黒田 惟信 先生は地元として一級文書として差し支えないと赤田家調査されている
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赤田井 |
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家紋:閂(かんぬき)
菩提寺の瓦や墓碑に刻まれているのを見ることができる。
釘抜紋の変形とされているユニークな家紋である。
江戸期に拝領家紋ー菊を使用する
江戸時代は代々庄屋をつとめる。
元和4年小堀遠州転封
元和5年小森遠州公浅井郡小室に転封
元和6年より年貢免状が代々残る
小堀遠州、赤田家に数回、庭園の見学に来訪
寛永17年二代目赤田勘兵衛 竹生島蓮華頭役
(頭役状現存)
奉納弁才天像現存する(竹生島宝厳寺)
1670年、小堀藩二台目主小堀正之書状現存
(赤田家文書)
指図文書(草野谷の長・勘兵衛への指図書)
寛文12年、盛高の子(三代目赤田勘兵衛)
田村の寺は西本願寺派末寺に光信寺の寺号を
受ける。上人と対面に優遇記録有り
その他、江戸時代の庄屋文書は全て保存されて
いる。
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敷地から見た正門

敷地から見た正門

正門 |